福岡の替え玉|発祥とされる元祖長浜屋。公式サイトにも観光連盟にも「発祥」と言い切った文はありませんでした

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元祖長浜屋の長浜ラーメン。白濁したスープに極細麺とねぎ

この記事は2026年10月11日に、店の公式サイト・公的な観光サイト・博物館の解説・新聞報道を一つずつ開いて確認した内容です。個人ブログやまとめ記事は根拠にしていません。

「替え玉は、長浜の元祖長浜屋が発祥」。福岡ではよく聞く話です。どこまでが確かな話なのか、出どころを一つずつ確かめました。

目次

調べてはっきりしたこと

  • 元祖長浜屋の公式サイトの文章には、「替え玉」「発祥」という言葉が一度も出てきません。書いてあるのは創業年・沿革・アクセスなどです(写真の中の文字までは確認していません)
  • はっきり「替玉発祥の店」と書いているのは、店が協力した即席麺メーカー(味のマルタイ)の商品ページです。新聞は「発祥の店とされる」、観光連盟や博物館も「いわれています」「という」と、どこも伝聞の書き方です
  • そのページによると、替え玉のきっかけはお客さんの「スープがもったいないから、麺だけくれんか」という一言でした。「市場で働く人のため」という説明もあり、替え玉が生まれた理由は資料によって違います。始まった年を書いた資料は見つかりませんでした
  • 長浜ラーメンは、長浜で生まれたわけではありません。屋台は博多区の魚市場の近くで始まり、昭和30年に市場ごと長浜へ移りました
  • 「元祖長浜屋」と「元祖ラーメン長浜家」は別の店です。1字違いのせいで、ネットの記事でも取り違えが起きています
元祖長浜屋の長浜ラーメン。器に店名が入っている
元祖長浜屋の一杯(2022年1月撮影/撮影: 経済特区 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

1. 本家の公式サイトに書いてあること

元祖長浜屋の公式サイトは2つあり、どちらも1ページだけの構成です。片方には創業年・沿革・アクセス・求人、もう片方には「創業昭和27年」とアクセス・定休日が載っています。どちらの文章にも「替え玉」「替玉」「発祥」という言葉はありませんでした(写真の中に書かれた文字までは確認していません)。

沿革は、写真の説明文の形で載っています。

年 公式サイトの説明
昭和27年 屋台で創業(写真は魚市場の提供)
平成17年 福岡西方沖地震の影響で本店を解体
平成22年 道路拡張で支店を解体。本店と支店を統合した店舗でリニューアルオープン

いまの店は福岡市中央区長浜2-5-25 トラストパーク長浜3の1階です。営業時間は、公式サイトの一方では6:00〜25:45、もう一方では5:00〜25:45となっていて、公式の中でも食い違っています。休みはどちらも12月31日〜1月5日です(2026年10月11日確認)。

2. 「替玉発祥の店」と書いているのは誰か

いちばん公式に近い形で「発祥」と書いているのは、味のマルタイの「名店シリーズ 元祖長浜屋」の紹介ページです。店が協力した商品で、ページには「麺だけお替わりする『替玉』発祥の店として知られている」とあります。

ちなみにこの商品の表記は「監修」ではなく「協力」です。店側が「“監修”はおこがましい、せめて“協力”にしてくれ」と言ったから、と同じページに書かれています。

新聞はもっと慎重です。日本経済新聞(2013年3月4日)は「『替え玉』発祥の店とされる『元祖長浜屋』」、経済メディアのデータ・マックス(2016年5月30日)も「『替え玉』発祥とされる老舗」と書いています。どちらも「とされる」付きで、言い切ってはいません。

公的な観光サイトや博物館はどうか。福岡県観光連盟の「クロスロードふくおか」は、1952年に開業した元祖長浜屋の屋台が長浜ラーメンの発祥と「いわれています」と紹介し、同じ段落で「麺が伸びやすいため大盛りではなく、『替え玉』という追加注文のスタイルが考案されました」と書いています。元祖長浜屋の話の流れで替え玉に触れていますが、「この店が考案した」とまでは書いていません。新横浜ラーメン博物館も、元祖長浜屋を紹介する段落で、細い麺から替え玉という麺をお代わりするシステムが「できたという」と、伝聞の形で書いています。福岡市の観光公式「よかなび」の長浜の紹介には、替え玉の話は出てきません。

つまり、元祖長浜屋と替え玉を結びつける資料は多いものの、はっきり「発祥の店」と書いているのは店が協力した商品ページで、ほかは「とされる」「いわれています」「という」の伝聞です。公的な機関が認定した話ではありません。ほかに「替え玉の元祖」を名乗る店や団体は、調べた範囲では見つかりませんでした。

3. きっかけは「スープがもったいない」

マルタイのページでは、替え玉はお客さんから「スープがもったいないから、麺だけくれんか?」と言われたことから始まった、と説明されています。

一方、「市場で働く人のため」という説明もあります。日本経済新聞(2019年6月22日)は、忙しい市場関係者向けに麺だけお替わりできるようにしたのが替え玉だ、と書いています(店名は出していません)。ただ、この説明は麺の細さの話と重なっているので注意が必要です。新横浜ラーメン博物館が、原達郎『九州ラーメン物語』を引いて、魚市場のセリの合間に来る客にすぐ出すためと説明しているのは、麺が極細になった理由です(極細になったのは昭和40年代中頃)。そしてクロスロードふくおかと博物館は、細い麺は伸びやすいので、大盛りではなく替え玉という形になったと書いています。

替え玉が生まれた理由の説明は、資料によって違います。店が協力したページは「お客さんの一言」、観光連盟と博物館は「細い麺は伸びやすいから」、日経(2019年)は「忙しい市場関係者のため」。どれか一つだけが正しいとは、今回の資料からは言えません。三つは矛盾するというより、同じ店と同じ市場の話を、別の角度から説明しているようにも読めます。

4. 長浜ラーメンは、長浜で生まれていない

マルタイのページによると、創業者の榊原松雄さんが昭和27年に屋台を始めたのは「当時博多区にあった魚市場の近く」でした。昭和30年に魚市場が長浜へ移り、屋台も一緒に移ったとあります。新横浜ラーメン博物館とクロスロードふくおかも、大浜の魚市場から長浜へ移った、と同じ流れで書いています。

その後、昭和49年に屋台から店舗になり、平成22年に道路拡張で現在の場所へ移っています(マルタイのページ)。

味の源流についても、少しだけ記録があります。新横浜ラーメン博物館のご当地ラーメン「博多」の解説には、元祖長浜屋は名古屋で台湾人から教わった台湾料理をルーツとする、という一文があります。同館の別のページは、原達郎『九州ラーメン物語』を引いて、魚市場が大浜から長浜へ移ったとき、元祖長浜屋や一心亭などが一緒に長浜へ移り「長浜グループ」を形作った、と書いています。長浜のラーメンは一軒ではなく、市場と一緒に移ってきた店の集まりとして始まった、ということです。

5. 「長浜屋」と「長浜家」は別の店

ここがいちばん間違えやすいところです。

  • 元祖長浜屋— 昭和27年創業。替え玉の発祥とされる店
  • 元祖ラーメン長浜家— 2009年12月に開業した店と、2010年に出店した同じ名前の店の2軒があります(日本経済新聞 2013年3月4日)

日本経済新聞によると、2軒の長浜家を開いたのはどちらも元祖長浜屋の元従業員です。屋号をめぐって長浜家どうしで裁判になりましたが(福岡地裁が2013年3月6日に差し止め請求を棄却。原告側は控訴の方針と報じられました)、元祖長浜屋はこの裁判の当事者ではありません。弁護士ドットコムニュースは2019年5月に、元祖長浜屋のかつての本店跡の近くに「元祖長浜屋は家(け)とは関係ありません」という掲示があると報じています。

1字違いなので、ネットの記事でも取り違えが起きています。本文では「元祖長浜屋」と書きながら、写真の説明では「元祖長浜家」になっている記事もありました。「替え玉の発祥」として紹介されているのは「屋」のほうです。

6. 年表で並べると

ここまでの話を年の順に並べます。出典が一つしかない項目は、出典を添えました。

年 できごと 出典
昭和27年(1952) 榊原松雄さんが博多区の魚市場の近くで屋台を始める(昭和28年とする資料もある) 公式サイト・マルタイ/28年は新横浜ラーメン博物館
昭和30年(1955) 魚市場が長浜へ移り、屋台も一緒に移る マルタイ・クロスロードふくおか
昭和40年代中頃 麺が極細になる 新横浜ラーメン博物館
昭和46年(1971) のちの長浜ナンバーワンが、屋台「昇龍軒」として長浜で始まる 西日本新聞(2025年1月7日)
昭和49年(1974) 元祖長浜屋が屋台から店舗になる マルタイ
平成17年(2005) 福岡西方沖地震の影響で本店を解体 公式サイト(道路拡張で2008年に閉店とする報道もある)
2009年12月 最初の「元祖ラーメン長浜家」が開業 日本経済新聞
2010年 2軒目の長浜家が出店。元祖長浜屋は道路拡張で現在の場所へ 日本経済新聞・マルタイ・公式サイト
2013年3月6日 長浜家どうしの屋号の裁判で、福岡地裁が差し止め請求を棄却(原告側は控訴の方針と報道) 日本経済新聞

こうして並べると、替え玉が「いつ」始まったのかを書いた資料が一つもないことに気づきます。屋台の創業、市場の移転、麺が極細になった時期はわかるのに、替え玉だけは年がありません。「発祥」と言われながら、その日付は記録に残っていない、ということです。

7. ほかの長浜の店は、替え玉をどう書いているか

長浜には、元祖長浜屋のほかにも歴史のある店があります。西日本新聞(2025年1月7日)によると、長浜ナンバーワンの始まりは昭和46年、竹中忠勝さんが長浜に構えた屋台「昇龍軒」です。屋号はその後「ナンバーワン」になり、2代目の代で「長浜ナンバーワン」に変わりました。ただ、この記事に替え玉を始めたという話は出てきません。長浜ナンバーワンの公式サイトにも、替え玉の由来についての記述は見当たりませんでした。

報道の書き方も一つではありません。日本経済新聞は、2013年の記事では元祖長浜屋を「『替え玉』発祥の店とされる」と書き、2019年の記事では替え玉を市場関係者向けに生まれたものとして、店名を出さずに書いています。同じ新聞でも、店の話として書く記事と、長浜という場所の話として書く記事があるわけです。

8. 資料によって食い違っていること

  • 創業年— 店の公式サイトとマルタイは昭和27年(1952年)、新横浜ラーメン博物館は昭和28年(1953年)
  • 本店がなくなった理由— 公式サイトは平成17年(2005年)に福岡西方沖地震の影響で解体。道路拡張で閉店したと書く記事もあります
  • 最初の屋台の場所— マルタイは「博多区にあった魚市場の近く」、博物館と観光連盟は「大浜の魚市場」
  • 開業した場所— 新横浜ラーメン博物館の中でも、「魚河岸の長浜で開業」と書くページと「大浜から長浜へ移った」と書くページがあります

おまけ:「替え玉」は、もともと別の意味の言葉

「替え玉」という言葉自体は古く、もとの意味は「本人と偽って、別人を使うこと」です。同志社女子大学名誉教授の吉海直人氏の古典講座(新島八重顕彰会のサイト)によると、『日本国語大辞典 第二版』では1779年の洒落本が初出とされ、ラーメンの意味は載っていません。一方『デジタル大辞泉』には、3番目の意味としてラーメンの替え玉が載っているそうです。なお同じ講座は、替え玉は元祖長浜屋が始めたサービスだと書いています。

この記事で確認できなかったこと

  • 元祖長浜屋の公式SNS — 見つかりませんでした
  • 公式サイトの写真の中に書かれた文字
  • 長浜家どうしの裁判が、その後どう決着したか
  • 元祖長浜屋より前に替え玉があったという説の出どころ
  • 福岡市や福岡市鮮魚市場が、替え玉の起源について書いた公式ページ

出典

営業時間や休みは変わることがあります。行く前に公式サイトでご確認ください。

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この記事を書いた人

福岡のおでかけ情報メディア「めぐる福岡」編集者のめぐるです。デート・グルメ・カフェ・観光・季節のイベントまで、福岡で過ごす時間がもっと楽しくなる情報を『選び方』からわかりやすくお届けしています。気になるスポットは公式情報もあわせて確認しながら、実際に役立つ視点を大切に発信中。あなたの次のおでかけ選びを、そっと後押しできたらうれしいです。

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